ベルトルッチ、Bertolucci

イタリアの巨星、ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)が逝去されました。享年77歳。
流れるニュースは、代表作が『ラストエンペラー』で、『ラストタンゴ・イン・パリ』では論争を巻き起こした・・・と、何処も判で押したように同じです。

以前にもこのブログで取り上げたことがありますが(確認したらちょうど4年前、2014年11月の終わり頃)、「早熟過ぎた天才」は、若干29歳、『暗殺の森(Il conformista)』で世界を瞠目させ、35歳にして5時間16分の大作『1900年(Novecento)』で才能のピークを迎えます。
そのスタイリッシュな演出はビットリオ・ストラーロ(Vittorio Storaro)の撮影と相まって、スクリーン一杯に“色気”と“芳香”を放ちます。

個人的意見として言うならば、米国アカデミー賞9部門を獲得した『ラストエンペラー』は、その才能の凋落の始まりであり、その後に続く惨憺たる作品群がその証とも言えます。典型的な「ハリウッド行き、才能の終着点」だったのでしょうか。父親から引き継いだ終生のテーマであった「イタリアの影」を『1900年』で描き切り、作家としてのモチベーション・目標そのものを失ったのかもしれません。

1997年の初夏、アドリア海沿いの小さな町で、ご本人に会見する光栄に浴したことがあります。
イタリア的に小柄な紳士だと思い込んでいた私のイメージを裏切る巨体でしたが、当時既に足腰の具合が芳しく無いご様子でした。「色ボケしたか」とまで揶揄された『魅せられて』公開の後であったと思います。

しかしだからと言って「早熟過ぎた天才」が映画史に残した傑作が色褪せることはありませんし、燦然と輝き続けることでしょう。映画監督、ベルナルド・ベルトルッチ氏のご冥福を心からお祈り申しあげます。

『Jules et Jim』(突然炎のごとく)

2017年7月31日、ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)が亡くなりました。
私にとって「胸が張り裂けそうな映画」というのが『Jules et Jim』(邦題:突然炎のごとく)でした。


先日のブログ記事に出てくる、嘘つき政治家、官僚連中、それをサポートするネトウヨの皆様というのは、
「胸が張り裂けるような思い」なんてしたことあるんでしょうか?・・・イヤ、ないでしょうねェ(笑)。

最後まで美しくかっこよかったシネマの女神のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

NOVECENTO ~ 1900年 ~

同じ年−1900年に、地主とその小作人、それぞれの息子として生を受けた二人が、正反対の立場に置かれながら、第一次世界大戦~イタリアファシズム台頭~第二次世界大戦を生き抜いた数十年間(=イタリア現代史)を、5時間以上(ノーカット版)の叙事詩に纏め上げたのが、「早熟の天才」ベルナルド・ベルトルッチ、35歳の時です。

この映画の何処が凄いのかと言うと、実際に映画を観てください、としか言えないのですが、まあとにかく凄いのです(笑)。風が吹きます。農婦の唄声が木霊します。スターリング・ヘイドンが見事な死を迎え、バート・ランカスターが、ドナルド・サザーランドが牛の糞尿に塗れます。若かりしジェラール・ドパルデュー、ロバート・デニーロ、ステファニア・サンドレッリ、ドミニク・サンダが、スクリーンから弾け出るがごとく艶々と輝いています。

そんな「早熟の天才」に突然陰りが見えたのが、普通の監督であれば所謂「脂の乗り切る頃」であろう40代半ばで撮った、そして皮肉にも米国アカデミー賞9部門を獲得した『ラストエンペラー』でした。天才の持つマジックや魅惑がスクリーンから消え失せ、続く『シェルタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』と惨憺たるものでした。その後も、あまりにも完成された『暗殺の森』『1900年』を知る私には、目にするのも辛くなるような作品が続きました。

実は私、ベルナルド・ベルトルッチご本人にお会いした事があります。イタリア・アドリア海沿いのリゾート地で、イタリア映画の回顧展があり、そこにフランチェスコ・ロージー監督(『シシリーの黒い霧』『予告された殺人の記録』等)とベルトルッチ監督とが招待されていました。
ロージー監督は、その作品内容のイメージに沿った「マフ○アそのもの」という外見でした(笑)。小柄な紳士だと思い込んでいたベルトルッチ監督はというと、ロージー監督に負けず劣らずの巨体で、しかし当時、既に足腰の具合が芳しく無いご様子で、上記したように、その才能がすっかり影を潜めた作品続きだったことから、「映画監督とは肉体労働そのものである」という思いを改めて強くしたものでした。
それでも私にとって、目の前に居るベルナルド・ベルトルッチは現代映画史に輝く巨星の一つには違いありません。控えめな日本人の私は(笑)、作品上映前のベルトルッチ監督のスピーチが終わったのを見計らって声を掛け、ベルトルッチ監督が親切にもサインをして下さろうとしたその時、場内の灯りがスッと落ち−映画の上映が始まり、チャンスを逸してしまった、という、遠い記憶が残っています。

IL CONFORMISTA ~ 暗殺の森 ~

以前は公式ページに[Balibari Cinema]なるコーナーがあって、毎月名作映画を紹介していたのですが、サーバーへの負担、YouTubeの良く分からない規制の面倒さ等に加え、恐らく誰も見ていなかったので(笑)、コーナーそのものを削除してしまいました。そこでも一度紹介したことのあるのが『Il Conformista(日本題:暗殺の森)』です。 監督のベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)は、黒澤明の『羅生門』に触発されたであろう『殺し』でデビューしたのが若干21歳! 23歳で『革命前夜』、そして1970年、何と若干29歳で、映画史上でも傑作とされる『暗殺のオペラ』と『暗殺の森』を発表します。「早熟の天才」というのはこういう人の事を言うのでしょう。 ベルトルッチの初期作品には切っても切り離せない「ファシズムの影」を常に湛え、エロティシズムと様式美に満ちたヴィットリオ・ストラーロ撮影の映像は、美しく、そして恐ろしくもあります。 明日は、ベルトルッチ、35歳にして”最後の傑作”であろう『1900年』を紹介したいと思います。

ヘミングウェイとピカソと高倉健

このブログで2回も続けて“男の中の男”について触れるとは思いませんでしたが、“真剣勝負”を愛し、映画人として不器用にストイックに自分を磨き続けた高倉健さんが、2014年11月10日にご逝去されました。

追悼番組や新聞は、今までも幾多となく語られて来たエピソードを繰り返す事でしょうから、ここでは一般にはあまり知られていないエピソードを綴ってみたいと思います。

Arene_corrida数年に一度しか映画に出演しない高倉健さんは、完全にオフの時期には「行方不明」となり、事務所さえ連絡が取れなくなると言われていました(本当かどうかは分かりません・笑)。高倉健さんはその空白の期間を一体どう過ごしているのか・・・テレビであったか雑誌であったかのインタビューに対し、「海外に行っている事が多いですね。ラスベガスでボクシングを観たり・・・最近は闘牛を見に行く事が多いですね・・・」と語っていたのを何故か強烈に覚えています。健さんがボクシング好きなのは良く知られた事実でしたが、実は闘牛に魅入られていたという事実はあまり知られていません。

Morante639実は私も、今の地に暮らすようになって、1年に約2回、多い時で3回、かれこれ10数回は闘牛場に通っています。灼熱の太陽の元、「オーレ!オーレ!」「トロ〜!」の掛け声と共に闘牛士と雄牛が激しく華麗にダンスを繰り返し、絶妙のタイミングで入る楽団の演奏がドラマを演出し・・・そして、円形闘技場の石段を埋め尽くした数千人の観衆が一斉に静まり返る瞬間 -「真実の瞬間」を決して見逃すまいと全ての意識がその一点に集約する「静かなるEnthusiasm」は、その場に身を置いた人にしか分からないでしょう。否、その場に居たにしても、生の“真実”に目を向けない人の心には決して届かないことでしょう。

近年、“動物愛護”やその他諸々の“事情”により、闘牛や他民族の食生活にまで口を出す(手まで出す)国家や団体も居ますが、そういった輩に反論する由もありません。
ただし、皮肉を込めて言うならば、彼らは決してアーネスト・ヘミングウェイやパブロ・ピカソの作品を批判しないであろうし、まして「嫌い」だとは言わないでしょう。大喜びでオペラに通い、レストランでその日の演目『カルメン』の演出や装飾について、したり顔で論じるのが大好きだったりします。そういうレベルなんです。

ヘミングウェイの言葉を借りるならば「闘牛士でもないかぎり、人生を徹底的に生きている人間はいないよ」- この言葉が、闘牛という、現代に僅かに残された「命を賭して生に向き合う」ことに魅入られている人すべての気持ちを代弁するのではないでしょうか。高倉健さんも同じ心持ちで、はるばる海外まで、ボクシングや闘牛を観に通っていたのでしょう。

誤解を招かないように書いておくならば、私は個人的に、ヘミングウェイの小説をあまり評価していません。若かりし頃の「短編集」など酷いもの・・・(以下略・笑)。
「映画は監督のもの」だと思っている私は、所謂「スター映画」には興味がありませんし、それは「スター・高倉健」の映画作品に関しても同じです。しかしそれでもスクリーンに映し出された健さんが輝きを放ち、時には私をどっぷりと「高倉健」の世界に引きずり込んだのは、健さんが「高倉健」という役柄を、命を賭して、スクリーンを通して演じ切っていたからでしょう。密葬も終え、初七日も過ぎてからの発表も、最後まで「高倉健」そのままの生き様を示していたように思います。

死因が「悪性リンパ腫」という点が気になるところではありますが、昨年「文化勲章」を健さんに授けたにも関わらず、政府もメディアも、この死因については完全にスルーするのでしょう。

ヘミングウェイとピカソと高倉健とを繋ぐもの 〜 ひとつひとつ、確実に、この世が“本物”から目を背ける人間ばかりになって行く事に寂しさを覚えます。

映画俳優・高倉健様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

小説・映画『The Cider House Rules』

今度はイランで民間機が落ちましたね… あまりに汚い世界への憤りを鎮める為、また映画の話題です、

あるFX業者の日本語サポート様とのやりとりの中で「私の5本指にはいるくらい好きな映画です」と『サイダーハウス・ルール』を挙げられました。映画の話題を振られると、FX業務上の話題よりも断然に嬉しく(笑)、思わず反応してしまいます。この方は、この映画のあるシーンとご自身の”視線の記憶”とを重ね合わせて語られ、映画に対するその的確な言葉にも、普段から私が感じていたこの方のセンスの良さが現れており、更に嬉しくなりました。


この映画は、テレビ番組のBGM等で、その秀逸なサウンドトラックが使用されることも多く、派手さ等全く無いにも関わらず、その音楽を聴いただけで、あ!サイダーハウス・ルールが流れてる… と何だか、切ない気持ちにさせてくれる、そんな映画です。
監督のラッセ・ハルストレムで真っ先に思い出すのが、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』で、決して明るい話ではないのに、スウェーデンの田舎町での、明るい、楽しい、ユーモア溢れる生活と、これまた美しい音楽とを巧み織り交ぜた、何度も何度も観たくなる映画です。
タイトルを「小説・映画」としたのは、この『サイダーハウス・ルール』の原作がジョン・アーヴィングの小説であり、彼自身が、この映画『サイダーハウス・ルール』の脚本を手がけたからです。

ジョン・アーヴィングの名前で真っ先に思い出すのが、私にとっては映画『ガープの世界(The World According to Garp)』(監督:ジョージ・ロイ・ヒル)であり、一人の人間が産まれ不幸な形で生涯を閉じるまでの、波瀾万丈の人生を、軽妙、洒脱に描き切り、私の中では、忘れ難い名作の一つとなっています。

そして、『ガープの世界』の監督、ジョージ・ロイ・ヒルで思い出すのが……
と映画を語り出すとエンドレスとなりますので、ここら辺で、日曜日の終わりにしたいと思います…

ラース・フォン・トリアー『奇跡の海』- Breaking the Waves –

先日、小さな村で教会に入ると、何だか他の教会と雰囲気が違います。そう… かすかに音楽が流れているんですね。そして程なくすると、この音楽が流れて来ました… 自慢じゃあないですが(十分自慢ですが)、私は好きな映画なら、タイトルを聞いただけで、その音楽を鼻歌で鳴らせますし(音痴ですが)、逆に音楽を聴いただけで、即座にタイトルやシーンが思い浮かびます。

当時、まだこの映画の公開前、ある海外映画祭のオープニング上映でこの映画を観ました。当然ながら、観客全員がこの映画を初見であり、2時間40分の上映後、全員が総立ちとなり感動と興奮の渦の中、怒号のような拍手が涌き起こりました…
一方、数ヶ月後に公開された日本では… どの媒体も「究極の愛の物語…」「純愛の感動の物語..」と感情タップリに繰り返すだけのアノ調子で… 正直、自国の文化レベルに目眩がし、吐きそうになりました(笑)。このことが私が日本を去る切っ掛けとなったのです(嘘)。

監督のラース・フォン・トリアー本人が「自国の嫌われ者」と自嘲するように、彼の殆どの映画のテーマと同様、この映画も、村が、教会が、果ては家族が、つまりは社会や組織といった「枠組み」が、如何に「個の違い」を認めず、そして個人を抹殺していくのか… を描いているのだと(私は)思いますけどね… 原題にハッキリとあるではないですか、ベスよ『波を打ち砕け!』と。

それから十数年、いくらバッハの曲とはいえ、偶然訪れた小さな村の小さな教会でこの音楽が流れていた事は、大きな喜びであり、改めて自国を振り返り、小さなショックでしたね。

ロマン・ポランスキー 『テス』

先日、映画『テス』ゆかりの地を訪問して来ました… 感無量。
Tess_stage-03この数日間『テス』のサウンドトラックが頭の中を木霊しています。

今まで一度も取り上げた事はありませんが、ロマン・ポランスキーは、私の敬愛する映画監督の中でも、憧れ中の憧れ、天才中の天才、と言ってよい映画監督です。
tess1979_polanski&kinski「呼吸をするように映画を撮る」と讃えられ「全ての映画監督が嫉妬する才能」とも呼ばれていました。
映画を「物語の筋」で追う愚を絶対に犯さず、常に”視線”で追うショットにその才能が息づいています。食事やパーティーのシーンがあれば、必ず誰かがグラスを落とし(そうになり)ますし、主人公がしばしば屋根裏から落ち(そうになり)ます。『袋小路』で割れる鶏の卵。『ローズマリーの赤ちゃん』の電話ボックスや病院での“汗”。『チャイナタウン』で、切り落とされそうになるジャック・ニコルソンの鼻。『テナント』で“女装”するポランスキー自身。『フランティック』では、屋根から落ちそうになるハリソン・フォード。『戦場のピアニスト』でのキャラメルの包み紙を開く音や、そのたった一つのキャラメルを家族全員で分ける為にナイフで刻んで行く寂しさ、何日も食べていない主人公が缶詰に穴を開けようとして落としてしまう瞬間の絶望的な哀しさと、直後のユーモア… そういったショットショットに、「暑さ」「渇き」「恐怖」や「痛さ」といった”感覚”が息づいています。そして今回の『テス』。テスがイチゴを口に含まされるシーンでは、ナスターシャ・キンスキーの、そのふくよかな唇に吸い込まれそうな… 思わず恋に陥りそうな、そんな錯覚を覚えるのです。

Polanski&Tess_2一方、ポランスキーの物語の主人公は、「常に誰かに追われ」そして「逃げ続けなければならない」運命に置かれています。常人ではとても経験しきれない、信じ難い程の数奇な運命に呪われた人生を、何度も切り抜け、脱出し、生き延びて来たバックグラウンドが影響しているのは当然の事でしょう。
米国で「妊娠中の夫人を虐殺」され、「淫行容疑」で国家とマスメディアに追われ、米国を脱出、舞い戻った欧州で撮ったのが、この『テス』です。
主演のナスターシャ・キンスキーも後年堂々と「私とロマンとは、当時、本当に愛し合っていたんです。心から繋がっていたんです」とインタビューに答えていますが、アングロサクソン社会が設けた”基準“に毒されたメディアは、上記『Wikipedia』『NAVERまとめ』を見ても「ナスターシャ・キンスキーとは彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいた」といった「先入観を植え付ける」為の記述しかありません。こういった経緯と心境が、『テス』というあまりに美しい映画の、何ともやりきれない哀しい結末になっていると思います。

米国脱出から30年以上を経た2009年、チューリッヒ映画祭授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の淫行容疑を理由にスイス司法当局に身柄を拘束されます。何故でしょう?… 既に撮影を終えていた『ゴーストライター』の内容が既に、米英政府、そしてスイス政府との間で連携されていたからに他なりません。この点に触れたレビューは誰も出していませんが、明らかに「元英国首相がモデル」となっているこの政治ミステリーの「ディテール」(インターネット検索画面であったり、チラリと画面に映る本の記載等です)を食い入るように見つめていれば、それは自ずと明らかになります。米英主導の世界ではポランスキーは十分に世界の裏側を『知りすぎた男』であり、「困った人」なのです。
Tess_stage-01上記「ポランスキー逮捕」のニュースを聞いた時には、私も流石に「一巻の終わりか」と心穏やかではありませんでした。が、ここでもポランスキーは間一髪、米国への身柄引き渡しを逃れ釈放される事になります。上記「全ての映画監督が嫉妬する才能」とも書いたように、世界中の主要な映画人を中心として、フランス政府その他もポランスキー援護に回ったからです。
終生まで「追われ続ける」人生を送る事に成りそうなロマン・ポランスキーですが、皮肉にも、それが彼の”老いて尚冴え渡る”映画創りに繋がっているようです。
私のロマン・ポランスキーとその映画への賛辞と嫉妬も留まるところを知りませんが、彼の引き受けて来た、そのあまりに壮絶な人生は流石に羨ましくは思えません。

以下、ロマン・ポランスキーの目眩く作品群:
水の中のナイフ Nóz w wodzie (1962)
世界詐欺物語 Le plus belles escroqueries du monde (1964)
反撥 Repulsion (1965)
袋小路 Cul-de-sac (1966)
吸血鬼 The Fearless Vampire Killers (1967)
ローズマリーの赤ちゃん Rosemary’s Baby (1968)
マクベス Macbeth (1971)
ポランスキーの 欲望の館 What? (1972)
チャイナタウン Chinatown (1974)
テナント/恐怖を借りた男 The Tenant / Le Locataire (1976)
テス Tess (1979)
ポランスキーの パイレーツ Pirates (1986)
フランティック Frantic (1988)
赤い航路 Bitter Moon (1992)
死と処女 Death and the Maiden (1994)
ナインスゲート The Ninth Gate (1999)
戦場のピアニスト The Pianist (2002)
オリバー・ツイスト Oliver Twist (2005)
それぞれのシネマ To Each His Own Cinema (2007)
ゴーストライター The Ghost Writer (2010)
おとなのけんか Carnage (2011)
毛皮のヴィーナス La Vénus à la fourrure (2013)

ヘンリー・キッシンジャー、エドワード・テラー、あるいはピーター・セラーズ

この映画を観たのは昨晩で何度目でしょうか。実際に映画館で観たのが10回以上、ビデオやDVDで観たのを含めると30回は超えているでしょう。

過去最凶の国から現最狂の国に移住した(恐らく連れてこられた)ストレンジラブ博士のそのあまりに身勝手で非人道的な「人類生き残り論」には、ピーター・セラーズというこの天才俳優の鬼気迫る演技に笑いを抑えきれないものの(実際、画面左側に立つロシア大使役が堪えきれず吹き出しています)、現在の彼の国が展開する狂気の論理と恐ろしく似通っていることに戦慄し、突然、今まで歩けなかった博士が「総統!歩けます!」と立ち上がった次の瞬間!毎回のように私の全身は鳥肌に包まれます。それがその映像によるものか、バックに流れるノーテンキな歌声と歌詞によるものなのか、それとも、スタンリー・キューブリックの“眼差し”に想いを寄せるからなのか… エンドタイトルが出る頃には分析するのも嫌になるほどの脱力感を伴います。

で、ブログタイトルのヘンリー・キッシンジャーやエドワード・テラーとこの映画に何の関係があるのかって… ?
これが、たまに映画を紹介する私の意図でもあるんですね。未見であれば自分で映画を観て、見つめて、何かを読み取り、そして自分なりに調べていくと、色んな事が分かって来て「鳥肌が立つ」ようになる… あるいは「原爆・水爆を愛するように」なれる… かもしれません(笑)?

La Môme – Non, Je ne regrette rien